究極の完全犯罪 その10

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 ちょっと古びた建物だ。コンクリートの階段を上ってゆくと、暖簾が出ている飲み屋があった。店内はこじんまりした小料理屋だ。こんなに早く開いている店も珍しい。職安の近くだからなのだろうか。
「君はいろんなお店を知ってるね」
「吉田さんは会社と自宅の往復で満足していたのでしょ。私なんか、毎日会社でお金を扱っているから、時々狂いそうになってくるのよ。下っ端は汗水垂らして働いているのに、幹部たちは高級料亭やクラブで湯水のごとくお金を遣ってるの。そんなのを毎日見ていると、お酒くらい飲みたくなるでしょ。そんな関係でここを見つけたの。と言ってもおばちゃんに教えてもらったんだけど」
 俺は世間のことにも会社のことにも、まるで無関心だったが、こんな若い子でもいろんなしがらみの中、精一杯働いてきた。そして食堂のおばちゃんと知り合い、ここに連れてきてもらったみたいだ。
 カウンターに二人並んで腰掛けた。とりあえずのビールを注文した。おばちゃんが亡くなったお通夜なのだから乾杯をするわけにはいかない。ちょっとグラスを上げて喉の乾きを潤した。
「岸谷さんは、どうしておばちゃんのことを良く知っているの?」
「あら、吉田さん。2回目ですね、名前を言ってくれたのは」
「岸谷さんも昨日までとはずいぶん変ったように思うよ。ま、あなたも無職になってしまったんだから、気持はわかるよ。ところでおばちゃんのことをもっと教えてほしいよ」
 そんな俺たちの会話をこの店のおかみさんが聞きながら、洟を啜っている。泣いているのだ。
「小夜ちゃん、もうやめて。恭子は何も知らないうちに亡くなったの。それだけが救いなんだから。さ、どんどん飲んで。恭子も天の上からきっと喜んでいるんだから」
 こう言っておかみさんは一升瓶を目の前に置いた。
「吉田さんはおばちゃんが死んだ訳を知りたいみたいね。それはね、簡単なことなの。あの北本と病院の息子が殺したの」
「殺した、ってそんなの軽々しく言ってはダメだよ」
「そうだけど、それしか考えられないもの。ね、サトさん」
「そうなんですよ。昨日コンビニでちょっとした喧嘩になったのは、恭子が上衣のほつれを飲食コーナーで直していた時、あの北本が4、5人で座ろうとして恭子に席を譲れと言ったことが発端らしいです。北本が少し押したので押し返したら、持っていた小さなハサミが北本の手の甲にあたり、ちょっと血が出て騒ぎ出したから、巡回のお巡りさんに見つかり、警察に連行されたのよ。取調中に恭子は血圧が上がったらしく救急車が呼ばれ、どんな救急患者でも受け入れる、隣の市のH病院に運ばれたの。夜中に電話があり、もう大丈夫なのに、検査漬けにされたと怒っていたわ。それが今朝に亡くなったなんて信じられないでしょ」
「そうなの、おばちゃんは腰痛以外、他は健康だったの。警察での取り調べで、緊張していたから血圧が上がっただけだったのに」
 またあの病院が関係しているのか。これじゃ診察もおちおち受けられない。
「おかみさん。おばちゃんは他に何か話していなかった? 俺のことなんか話していなかった? 今日付でクビになったんだけど、その理由が俺の机の中から会社の金が250万円も出てきた、というものなんですが、俺が盗んだり横領したとしても、会社に置いておくなんてことは誰もしないですよ」
「そうそう、そんなことを北本っていう人がコンビニで同僚に話していたそうよ。恭子が繕い物していた時に聞こえてきたようよ。ちょっと話していたけど、正確なことは分からなかったみたい」
 そうか。あそこのコンビニで北本は他の課員と毎日いろんな話をしていたんだ。そこにおばちゃんが居て、話を聞かれたと思ったんだ。俺の机の中の金のことも、たぶん北本らがでっち上げてごますり課長に報告したのかも知れない。ということは、経理の人間も一枚噛んでいることになる。

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