究極の完全犯罪 その9

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「北本はせこい奴だから、いつもおばちゃんは頭にきてたの。定食の代金を払わなかったり、おかずや御飯の量に文句をつけるのなんて毎日のこと。好き放題だったのよ。おばちゃんは昨日の夕方、吉田さんがクビになることを知ったようなの。ごますり課長が話したのよ。おばちゃんは帰りがけ、あそこのコンビニで北本を見つけ文句を言ったらしいの。そこからどうしてハサミで刺すことになったのかは分からないんだけど、結局お巡りさんに取り押さえられたの」
「どうして3課の連中は直行なのだ?」
「おばちゃんもケガをしたからよ。他の五人もコンビニにいたの。だから昨夜も事情を聞かれ、今朝も会議室に集められ、もう一度事情説明を行ってるわけ。分った?」
 それで課長はあんな態度をとったのか。俺は早退して助かったことになる。いや、クビだ。私物はちょっとだけだ。あとはいろんな手続きが待っている。総務へ行って離職票を貰わなければ。他にも失業保険なんかがあったはずだが。急ぐことはない。ゆっくりすればいい。
 ロッカーの私物をすべて捨てて、総務で手続きをした。経理へ行き、昨日までの給料を貰った。岸谷小夜子はいなかった。別の課員が「岸谷さんも辞めさせられたよ」と教えてくれた。昨日と一昨日の二日間の岸谷小夜子との会話は、総べてこの女は聞き耳を立てていたようだ。
 会社での手続きを終え、職安に行くことにした。解雇処分のときはすぐに失業保険が適用されるはずだから。そんなに急ぐこともないけれど、来週に迫った同窓会を心機一転の良い機会にしたいと俺は考えていた。事務的な係員の応対は、たぶん自分も得意先では熱意のないこんな風なものだったのかも知れない、とあらためて思った。今更そんなことを思っても後の祭りだけれど。
 職安での手続きも短い時間で終わり、時間を持て余すことになってしまった。何も考えずに駅に向かってゆっくり歩いていた。横から人が急に飛び出し俺の肩にぶつかった。すみません、という声がした。顔を見ると、岸谷小夜子だった。
「吉田さんもハローワークからの帰りなのですか。奇遇ですね。私も今しがた手続きを終えたばかりです」
 昨日までとは全くの別人だった。ちょっと田舎風の感じで、化粧も全く違っていた。なによりもあの冷たい感じが皆無だった。食堂のおばちゃんのことを聞いてみようか。俺よりは詳しいと思う。尋ねようとするまえに岸谷は口を開いた。
「おばちゃんのことは知っています。明日の午後からお通夜ですから」
「お通夜って何なの? ケガをしたことは聞いたけど」
「今朝、病院で亡くなったの。急死みたい」
「刺された北本はどうなった?」
「知りません」
 こう言うと小夜子はそっぽを向いた。北本の名前を聞くのも言うのも厭なのだろう。
「俺のせいでおばちゃんは傷害事件を起こしたらしい。そのおばちゃんが亡くなったなんて、俺にもちょっとは責任があるみたいだ」
「そう、吉田さんにも責任がある。おばちゃんのお通夜を今からしましょうよ。二人で」
 岸谷小夜子はちょっと上気したように言った。一昨日のイタリア料理店のときや、昨日の喫茶店での冷たい感じとはまるで違っていた。これがこの子の本当の姿なのか。俺にはまだ分からない。それでも時間を持て余していたから、その提案に乗ることにした。
 おばちゃんの通夜を二人でするとしても、どこですればいいのだろうか。また小夜子について行くしかない。彼女は裏通りに向かって先に歩いた。時おり振り向いて俺を見る。何か愛想笑いでもしうようかと思ったが、おばちゃんがどうして死んでしまったのか、そんなことばかり考えていたら、いつのまにか小夜子は消えていた。あたりを見回していると、二階から「ここよ」と笑いながら手招きする。

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